雨月物語

2012年03月30日 金曜日

監督溝口健二の映画「雨月物語」。

ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞等結構賞を取っていて、評価も高い映画の様だけれど、見ていても退屈だった。
確かに映像的には、セットも良く出来ているし、陰影のつけ方も良いのだけれど、結構長く回してカメラを振るだけのワンカットが多くのっぺりした感じがあるし、これからどうなる?という所で行き成り場面がフェードアウトしたり、演出・編集的にいまいち良くない。
話も、戦国時代の市井の人々の苦難に満ちた人生を、社会派とも言える感じで何時でも同じと匂わせる様に比喩的に描いていたのに、京マチ子が出て来ると急にファンタジーになり、何じゃそりゃな感じに。武士と言えば聞こえは良いけれど、単に強盗・強姦魔・無法者でしかなく、戦に翻弄される農民はたまったモノじゃあなく、何とかそれを乗り越えて行こうと言うのを長々描いていて、最後までそれが話の中心だったはず。しかし、京マチ子が出て来ると源十郎は今までの嫁さんへの思いも葛藤も無くいきなり乗り換えるし、狐の化かす様なお伽話の乗りになり、今までの非常に現実味を持った悲惨な話が急に何処かへ行ってしまい台無しに。人生を描いているのに、人の心持や葛藤が表れる様な顔だったり仕草が端折られたかの如く無いので、ただ話が流れて行く感じがする。
この話の戒めとしては、馬鹿で貧乏な人間は高望みするな、夢なんて見れば痛いしっぺ返しを食らうだけ、身に合った暮らしさえしておけばそれが幸せなんだよと言う、何ら気持ち良さがなく、深く思い至る事も無い、馬鹿にされたかの様な話になってしまっている。
それに、この映画が1953年の時代劇というのもあるのだろうけれど、登場人物が皆わざとらしい喋り方、演技で見ていても白けて来る。近畿地方の農民が江戸侍的時代劇口調はどうにかならんかったモノか。

全体的に、映像的にも話的にも作り込み、見せようとしているのが分かるのだけれど、それが逆にわざとらしく感ぜられ、全く乗り込めないし、主題が前半と後半でぶれ、全然良いとも思わなかった。

☆☆★★★

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